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信じるということ。
 2005.10.21 Fri
 夜中(というか4時はもう明け方か)に見た映画でタイトルは忘れたのだけれど、”日付の書”というものを巡ってうんぬんという話なのだけれど、ようは人の死ぬ日が記されてる神の本を何の因果か手に入れた主人公が生命保険会社に勤めてたからよろしくなかったという話のようです(絶対違う)。

 絶対保険金を払うつもりのない極悪社長をこらしめるべく、もうすぐ死ぬ人にばっかり受け取る側が有利な保険を組ませるわけですが、ま、それが彼が殺してる、と思われるはめになり法廷ものに突入するわけです。

 映画のできがうんぬん、プロットがうんぬんとかはおいとくとして、非常に気になったことが一つ。

 検察側が”神なんていない”発言をたびたび繰り返すのですが、そして裁判長も”神の存在を信じたわけではないが”と前置きをして無罪を言い渡すのですが、別にそれは個人の信条の問題だからいいとして、不可解なのはここだ。


 ”聖書において真実のみを話すことを誓いますね?”

 ”誓います”


 これが必要なわけだ。あっちの裁判では。ようは真実を話すかどうかを神に誓わせてるわけですよ、法廷という場所がね。

 でも、誰も信じてない場合、この宣誓ははたして意味を持つのか?というのが疑問だったんですよ。だって、信じてもないものにたいして誓ってもらっても・・・それなんか意味あるの?

 そういう制度だからといえばそれまでなんだろうが、”神の名において”真実を話せといっておいて、”神はいない”というのはいかがなものなのか、という気がしないでもない。うーん。矛盾してるよなぁ・・・。

 そればっか気になってて結局ヒロインの名前が最後まで覚えられなかった(おーい)。
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