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リアリティの問題。
 2005.10.22 Sat
 読み終わりました、六番目の小夜子。

 いまいちだった(爆)。

 結局文化祭の体育館で小夜子上演ってところから残り半分は何のためにあったのかよくわからなかったよ、べいべー(なんかちょっと悲しかったらしい)。もうあの劇メインにしてラストにしちゃったらよかったと思うくらいに後はずるずるのぐずぐずで、ハリーポッターとかの一巻から張られた伏線がきっちり消化されてゆく絶妙さとかを考えると、たった300Pそこらなんだからきちんと伏線を消化しきって欲しかったというのが正直な感想だなぁ・・・。

 謎をぽんっぽんっっとほおりっぱなしで、ほとんど解決されてないというのは、ミステリーとかホラーとして期待してた分、中途半端な青春モノでものすごく肩透かしというか、青春モノとしても質はよくないしどうしたもんかと。

 リアリティの問題、ってのは去年ターミナル(トム・ハンクスとスピルバーグの映画)を見たときにも思ったんだけど、リアリティというのと、現実的、というのは似てるようで全然違う。リアルなのと、現実とが全然違うように全く別物なんですよ。

 フィクションである限りは、作者は謎を提示したなら答えは用意しなくてはならない。伏線を一つはったなら、一つ以上の影響をさざなみのように物語に与えなくてはならない。

 実際には、謎は謎のままなんてのはよくあることで、でもそれで満足するなら、人はノンフィクションというものを読むんです、わざわざ頭ん中で他人がこねくり回したフィクションなんかじゃなくてね。

 フィクションを読む、小説を読む、ということは騙される快感を味わうということ。言い換えれば、けりがつく場所というのを一番お手軽に覗くための行為なのかもしれないが。それがね、けりを期待して何百ページがめくって、最後にけりがつかなかったときの虚無感!ひどいものがありますなぁ(苦笑)。そんなもんね、ハッピーエンドでもアンハッピーエンドでも含みを持たせるようなのでも、結末なんてなんでもいいんですよ。なんでもいいから、とにかくきちんと説明してくれ。そして謎をほうったなら、どんなこじつけでもいいからとりあえず解いてくれ(切実)。

 フィクションの中にも、リアリティは必要。でも、無駄に現実的になる必要はないなんて思うのは我侭なんだろうか(苦笑)。


 今更知ったが、この人ネバーランドの著者でもあるんだね。どっちもテーマというか扱おうとしたものはおもしろい。切り込み方もおもしろい。それだけに残念。
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